母の日 - アルゼンチン
2024 10月 日曜日 20
ポストカード花 : 1916年、ノーザン・パシフィック鉄道による母の日のポストカード
アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother¥'s Day Proclamation)を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother¥'s Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。
ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナ(Anna Jarvis)は、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる。
アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。
1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた。
オーストラリア[編集]
オーストラリアでは、母の日は5月の第2日曜日に祝われる。 母の日に贈りものを贈る習慣は1924年、シドニーのLeichhardtに住むジャネット・ヘイデン(Mrs Janet Heyden)によってはじめられた.
彼女はニューイントン(Newington, Victoria)の州立女性老人ホームを訪ねた際に多くの孤独で¥ 忘れられた母¥ たちに出会い、その女性たちをよろこばせるために地元の学校や企業の協力をとりつけ、贈り物を贈ることにした。それから毎年、彼女は贈り物の習慣の規模を少しずつ大きくして、地元企業や市長にも協力を取り付けた。以来、母の日の贈り物の習慣は商業化されていった。
伝統的に母の日にはクリサンセマム(菊の花)を贈る習慣になってる。その理由は、ちょうど母の日の季節(オーストラリアでは秋)に花を咲かせ見頃になるため、 また、クリサンセマム(chrysanthemum, キク属)が一般的に語尾部をとって通称 ¥ mum¥ (マム)と呼ばれ、ちょうど ¥ mum¥ (おかあさん)とかさなるため[要出典]。 近年では、母の日に男性は(上着ジャケットの)折り襟にキクの生花を挿してピンで留めたり、菊花を模した襟章(lapel pin)をつける場合もある[要出典]。 [Wikipedia]